『愛する事』ができる人は『愛される』
誰もが知っている、金子みすゞさんの詩。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう
etc.
これって、本当に基本ですよね。
相手にニコッと笑ったら、
相手もニコッっと笑ってくれることが多いし、
相手を睨みつけたら、
相手も「なんだよっ!(怒)」という顔をしてくるでしょうし。
愛情も同じ。
見返りを求めてばかりいると(=本当の意味で相手を愛していないと)、
相手も与える気にはならない(=相手も愛そうと思ってくれない)。
もし、ただ、ただ、愛してくれたら、
その人に好意を抱かないことは、まずない。
(※そこから恋愛という形になるかは、置いといて)
そして、
そんな風に愛してくれる人が困っているときは、
身を犠牲にしてでも、手を差し伸べずにはいられなくなる。
でも、基本、恋愛の愛情は、
本物の愛とは程遠いものばかり。
自分が気分よくなるために、
相手へ思いを届けたところで、
相手からは、
“相手が気分良くなるための思い”しか返ってこない。
つまり、「相手はタイプだから自分のものにしたい」という思いは、
自分が気分よくなりたいだけだから、
相手にとってあなたがタイプではなければ、
相手はあなたの思いに応じない方が気分良いから、
あなたに、良い返事はこない。
自分は愛しているつもりでいても、
実は愛していないことは多々ある。
そもそも見返りを求めている時点で
本当の愛情ではないから。
究極なことを言うと、
相手が自分を愛してくれないときに、
可愛さ余って憎さ100倍と、
相手を憎くなってしまう時点で、
そもそも本当の愛情ではないから。
愛情の基本は、
相手がHAPPYなら、自分もHAPPY.
つまり、それだけ恋愛というものでは、
多くの人が自分の自分勝手な愛情を愛だと勘違いして、
愛を奪おうとしたり、奪われそうになったりしている。
本当の愛情を持つのは難しい?
それと同じことを言うと、
それだけ「人に愛されるのは難しい」ってこと。
期待して相手を求めて、思い通りにいかないで
がっかりするくらいであれば、
それは難しいことなのだと理解し、
人を変えるよりも、自分を変える方が簡単なのだから、
相手に愛されることよりも、
まずは自分が愛せるようになることに努めた方がいいでしょうね。
「愛している」と愛のない嘘をついたら、
「愛してない」と愛のない言葉が返ってくる。
これも、ある意味、思いは“こだま”していますね。
ただ、そこまで完璧な愛情を100%持てる人はそうそういません。
でも、自己愛の中に、相手に対する他人愛が
どれだけはいっているのか、
その割合が増えれば増えるほど、
相手はその愛情を受け取りたいと思うことも多いし、
反対に、相手が自分の思いに応えようが応えまいが、
自分の内面は平穏になってくるもの。
結局、一般的な恋愛というのは、
それだけ自分勝手な愛情をぶつけ合っているだけのことが多い
ってことなんだと思うんです。
一番自己愛が強い恋愛での「両想いの法則」は
自分にとって、相手がタイプで、
相手にとっても、自分がタイプだったらうまくいく、
に過ぎない、というか。
その次元での恋愛だったら、
相手が自分のタイプじゃなければ諦めるしかないし、
自分みたいな人をタイプだと思う人と出会うしかない。
でも、もう少し他人愛がある恋愛になると、
自分と一緒にいる時間、相手を幸せにできたら、
相手もあなたのことを好きになることもある。
逆のことを言うと、
相手のことがタイプではないのに、
相手のアプローチなどで
そのうち好きになって付き合うようになった恋愛って、
意外と長続きすることが多い。
それは、単にタイプ、タイプじゃないの次元ではなく、
相手の自分に対する愛情で自分の心が動き、
自分も愛情で相手に応えた結果がだからだと思うんです。
そこには、上っ面のテクニック云々ではなく、
少なからずそこには、他人愛があるはず。
結局、恋愛というハートですることですらも
上っ面なことだけでしか見えてない人も多いのかも。
相手が自分と付き合ってくれるのか、くれないのか、
Hするのか、しないのか、
そこにばかりこだわっている人も少なくない。
でも、付き合って、Hしたって、
そこに愛情がないことだって、少なくないですからね。
だからこそ、まずは自分が
ちゃんと愛情を持てる人になった方がいい。
自分が本当に愛しても、
相手が愛情をきちんとキャッチできない人は、
まだまだ相手は、自分がタイプ、タイプじゃないのレベルで
恋愛をしているのかもしれません。
じゃあ、そういう人と恋愛をしたら、幸せになれる?というと、
幸せとは程遠いかも。
結局は、類は友を呼ぶ。
だから、本当に幸せな恋愛をしたかったら、
まずは自分が相手を愛して、
相手もその愛に気付き、受け止められるくらいの
愛を知っている人である方が、
結果、幸せになれる、というか。
愛情をきちんと理解して、受け止められる人でいるのか、
それこそが、本当は恋愛においてかなりポイントの高い
相手の魅力だと思うのですが、
結局、自分自身が、タイプかタイプじゃないか、
相手の条件が自分の都合に良いか、
自分を愛してくれるか愛してくれないかだけで
ジャッジしているから、
そういう相手には素通りしてしまってこることもあるのかも。
幸せな恋愛、愛される恋愛がしたかったら、
まずは自分がきちんと愛を理解し、
愛せる人になりたいものですね。
ある方にこんな質問をしました。
「・・・とは言っても、ホンモノの愛情をささげても、
必ずしも相手から愛情が戻ってこないこともあるけど、
それってどういうことだと思う?」と。
例えば、本物の愛情を相手に与えたとき、
ときとして相手が自分の前から姿を消すこともある。
でもその行為こそが「愛情」であることもあるのだと。
もし相手があなたと同じ「類※」ではない場合、
相手が、あなたの愛情が純粋でキラキラしているからこそ、
受け止められないと感じることもある。
でも、その結果、あなたの愛情を利用するのではなく、
あなたの前から姿を消すという手段で、
ホンモノの愛情を出しているのだと。
愛するからこそ愛される。
その愛される内容は、
必ずしも恋愛という形ではないかもしれません。
でも、自分がそれだけ愛せたら、
それだけ魅力的になっているということなので、
恋の相手は、その片思いの相手ではないかもしれないけど、
自分には新たな愛も返ってきて幸せになることも。
結局、自分の行いが自分に戻ってくるように
この世の法則はなっているもの。
愛した方が負け。
愛し損、なんてことはないのです。
だからこそ、やはり人をちゃんと愛せる人でいたいものですね。
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